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「小さき者へ」
2008/03/09(Sun)
「小さき者へ」 重松 清

02231220.jpg


家族、父親と子供、夫婦に関する短編が6話収録されています

「海まで」
「フイッチのイッチ」
「小さき者へ」
「団旗はためくもとに」
「青あざのトナカイ」
「三月行進曲」

表題にもなっている「小さき者へ」よりは自分は孫とお婆ちゃんの関わり、そしてその様子をみてやきもきする父と母の話を収録した「海まで」が一番ぐっときました
カフェで読んでいたのですが、情景を思い浮かべていたら、あるシーンで思わず溢れてくる涙をこらえることができませんでした

必ずしも綺麗に話が完結するというわけでもないので、どこか消化不良に思う話もあるかもしれませんが、実際の世界なんていうものは綺麗に片がつけられるというものではないのだから、とおもえば納得できます


印象に残った言葉

「人間って、二種類あると思うわけよ。野球とかサッカーで言ったら、グラウンドで試合するひとと、スタンドからそれを見てる人。」(団旗はためくもとに)

文中では、「試合をする人は選ばれた人。だけれども観客がいないと経営が成り立たないわけだから、観客も大事。だから観客でもいいじゃない」という意味合いでした。確かに全てにおいて「選手」でいられるわけではないから「観客」でいる事を楽しむというのは大事だと思う。だけど同時に、人は必ずどこかの場で「選手」でいる事ができる、と信じてる。「自分は所詮何やっても観客だから。。。」なんて思わないで。

「人生には押して忍ばなきゃいけない場面がたくさんあるけど、いちばんたいせつなのは、なにかに後悔しそうになった時なんだ。後悔をグッと呑み込んで、自分の決めた道を黙々と進む、それが『押忍』なんだ、人生なんだ。」
(団旗はためくもとに)

何かを決断すると言う事は、他の選択肢を捨てる、ということ。どんなに固い決心でAを選ぼうが、Bを選ぼうが「選ばなかった方を選んでおいたら良かったかな。。。」と思う所と言うのは多かれ少なかれ必ずでてくる。それでも自分できめたことならば、と心に決めて進んで行く。人を裏切ったり、傷つけたり、自分の都合の良いように、というのは話が別だけれど、耐え忍んでグッと耐える事で自分の中に根っこが生える、そう言うものだと思う

「ずうっと、一生、残るのかもしれない。しかたない。負けは、負けだ。だが「負け」と「終わり」とは、違う。違っていてほしい-と思う。」(青あざのトナカイ)

自分が良ければそれでいい、そうやって過ごしてきた人や、育てられてきた人というのは転んだときの立ち上がり方を知らない。勝ちっぱなしの人生を送れる人なんていないし、そんな人生味もしゃしゃりもない。そもそも「勝ち」の定義なんて人によって様々なんだから。どんなときでも「終わり」はない、そう思う。スラムダンクの安西先生の言葉を借りれば、あきらめたとき、それが終わりなんだと思う
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